ひらきなおり日記

ロスジェネのライフ

苦手なヤツから逃げる工夫

天王寺動物園のシマウマが、エランドに刺殺されるという事件が起こった。同じエリアにいた二匹は口論でもしたのか、カッとなったエランドの「角突き」※という煽り運転にも似た攻撃により、命を落とした。

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www.city.osaka.lg.jp


何だか雰囲気が良くない場所は会社だけじゃなかった

もう10年以上前になるが、1度あの動物園には行ったことがある。その時の様子たるや。ほとんどの動物が寝そべってやる気を出していなかった。百獣の王と言われるライオンはすでに老人で毛並みもよくない。ただただ、「また人間きてるわ」程度の態度である。子どもがワクワクして見にくる場所なのに、なんだか雰囲気がよくない。まるで会社にいるようなどんよりとした空気が立ち込めていた。そこにきて、このニュースである。天王寺動物園は、生態的展示(ランドスケープイマージョン)と言われる、その生物が野生で生息していた時と同じような環境を再現していて、そこに放たれた動物たちを見ることができる。つまり、部署間を跨いでOKなフリーアドレスのような感じだ。しかし、広々とした自然と動物園は違う。柵や檻がなくなっても狭い世界は変わらない。

 

誰が責任取ってもいじめはなくならない

一つのフロアにひしめき合うのは、人間も動物も心身によくない。多様性が求められている時代だが、自分と違う人と仲良くしたり、尊重しあうことは難しい。多様性のメリットはプロジェクトが円滑に回せることであって、人間関係(動物もそうなのだが)が円滑になることではない。

とくに子どもは多様性のニーズを実感するほど、まだ長く生きていない。狭い世界に閉じ込められて個性だの多様性だの振りかざされてはたまったものではない。

つい最近、いじめ問題について、教育長がこんな発言をした。

「学校は命かけてまで行くところではありません」

www.asahi.com

正直、いじめはなくならない。いじめによる自殺が起きた時、マスコミは責任の所在を学校に向ける。けれど、そんなことをしたって教育委員会にも現状を維持しながらいじめをなくすなんてできないのだ。

いじめは、子どもだけでなく、職場やママ友など大人の中でもあることで、集団になると起きやすいことなのだ。

例えば、いじめっ子といじめられっ子とそれ以外がいたとして、いじめられっ子が転校するなどしてその場所を離れる。すると、それ以外の子の中からいじめられっ子が生まれるのである。いじめがなくなる、と言う考え方はない。逆にいじめっ子がいじめられっ子になって、それ以外がいじめっ子になる可能性もある。

 

ヒトは「いじめ」をやめられない (小学館新書)
 

 

自分の立ち位置、じゃなくて逃げ場所を探す

これは、個人の問題というより、いじめが起こりやすい環境を作ってしまうというのも一理ある。

動物だって、生息エリアが同じだからというだけで生活をともにしてこんな事件になるのだから、人間なんてよっぽどだ。

要は、無理やり距離感を縮めることに問題がある。 ちょっとでも気が合わないな、と思う人がいれば少しでも離れるのがいい。

どうも日本人は?嫌な人間に対してどう立ち向かうかを考えるのが下手な気がする。

大抵、懐に入ろうとする。無理だし無駄なのに。

懐に入って受け入れてくれると思うのだろうか。次の日から、お互い仲良くなるイメージが湧くのだろうか。

もし仲良くなったとしても、自分だって昨日までやられ続けた相手にニコニコできない。

自分の気持ちに手を当てて考えてみる。仲良くなりたいか、今後も仲良くなれないか。そしてさらに考えてみる。コイツ(嫌いなヤツ)と一生会わなくていいかどうか。

一生会わなくていいんだったら離れる方法を考えるべきである。

会社員だったら、転職、(人事に嫌がらせを受けていることを訴えて)異動、などなど。学生だったら、転校、クラス替えしてもらう、先生に相談して解決できるまで学校に行かないなど。小学校は義務教育だし、中学も高校進学に差し支えない程度で休んでもいいと思う。

あとは会社や学校以外の世界を見ること。これに尽きる。ネット上でもいいから会社や学校以外の人と知り合って話をすることで新たな逃げ場所(世界)が見つかる。ブログに書くのもいい。

 

シマウマのヒデヨシだってアフリカにいれば、エランドに睨まれてもシマウマ同士、あのシマ模様で惑わして逃げれたはず。たとえ同じ世界に生きていても。

*1:縄張りや恋の争いを起こしたときの攻撃