ひらきなおり日記

ロスジェネのライフ

あれだけ熱望していたのに、今はもう

私は2000年初頭、就職氷河期真っ只中に就職活動していた。高学歴の友人さえも本当に就職がない。裕福な家庭で育った学生は、「就職浪人」といって大学院に上がるか専門学校に行ったりして時間を潰した。採用されたところで、入社してすぐ地方に転勤させられ、安月給で戻ってこないようにさせるシステムの企業もあった。

 

とはいえ、私の就職活動はフワフワしたものだった。

クリエイティブな仕事がしたい。

ただそれだけである。企業研究も大してしていない。あの頃は、リクナビ2ちゃんねるが唯一の情報源でそれ以外は大学の就職課だのみであった。

私は、当時よく読んでいたサブカル雑誌を開きながら「ここの出版社で働きたーい」などと言っていた。とはいえ、ノウハウが全くわからない夢見る夢子でもなかった。出版社でバイトはしていなかったものの、印刷屋と写真屋とイベントのバイトを掛け持ちでやっていたのである。だから、Adobeが少し触れたし、初稿、校正、入稿、下版などの印刷用語や写真のネガとポジの違い(当時はまだフィルムを扱うことが多かった)などは知っていた。

だから、少しくらい望みあるだろーと受けてみるも、当然一つも受からない。

おそらく100社は超えていたであろう。

 

ただ当時から転職の多いギョーカイだったので、新卒で入れなくてもいつかは潜り込めるのでは!?と、僅かな期待を胸にとりあえず経験を積まなければという意気込みでいた。

 

当時、私がなりたかった職種は編集者で、とくにカルチャーやファッション誌を担当したかった。今思うとフワフワしている。鼻で笑ってしまう。

 

とはいえ、現在は広告ギョーカイを経てwebギョーカイである。

 

あれから10何年、気は変わりまくった。ブレまくった。すべては生活のためだった。

 

そりゃ、ファッション関係の広告も担当した。サブカルなイベントの仕事もした。しかし、単価が安かった。いくら楽しい作業でも、割りに合わない仕事になると心が折れた。

 

それから何年か経ったつい最近、友人と居酒屋で飲んでいたときのこと。ふと隣のテーブルを見ると何処かで見たことある顔が。知り合いでもないし、芸能人でもない。でも見たことがある。それはかつて行きたいと熱望していた雑誌の編集者御一行だった。もう、歩くファッション誌であり、カルチャー誌である。雑誌に丸ワイプで載ってるそのまんま。

しかし、そんな彼らを見ても、もう熱くなるものはなかった。むしろ、夢叶わなくてよかったな、と。

 

あの頃、あれだけ熱望してたのに、なぜ!?自問自答した。そして、あの頃の自分には望みさえも制限されていたことに気づいた。当時はあの雑誌の世界が全てだった。でも今は違う。もっといろんな世界があって、それも悪くないと思えることに出会った。

時代が変わると同時に自分も変わらないといけない。とくに凡人は。運も才能もない人間は変わるしかない。物事に固執せず興味も関心も変わり続けていく。その結果、私は某雑誌および出版社に興味を無くした。

 

・・といっても、実は給料安そう、と思ったからなのだが。