ひらきなおり日記

ロスジェネのライフ

津田大介は21世紀のデュシャンになりたかったのか

「表現の不自由展 その後」について。

ネットニュースで収まらないくらい炎上しているニュースだが、このような事例は初めてではない。

 

アートと公的資金の問題は昔からあった

日本ではあまり知られていないが、20年ほど前にニューヨークブルックリンで開催された「センセーション展」でも市長が開催に物申した経緯がある。

センセーション展は、ロンドンのチャールズ・サーチ(広告代理店サーチ&サーチの創業者)が運営するサーチギャラリーが主催して、ロンドン、ベルリン、ニューヨーク、オーストラリア(中止)を巡回した展覧会である。

 

チャールズ・サーチは、当初、アンディ・ウォーホルやリチャード・セラなどの作品を購入していたが、地元の若手アーティストが売れない中で刺激的な作品を発表していると聞きつけ、真っ先にパトロンになった人物である。

サーチギャラリーのお墨付きをもらった若手アーティストは、のちにヤング・ブリティッシュ・アーティストという総称で世間を賑わせた。中にはサメや牛のホルマリン漬けで有名になったダミアン・ハーストなど、大きく注目された作家が大勢いる。彼らは、ギャラリーではなく倉庫を利用してレイブパーティーさながらの展示を行っていた。その様子がマスコミに広く紹介され、大規模な展示を行うまでになった。

 

肝心のセンセーションの展示は、というと幼児連続誘拐殺人事件の犯人の肖像画を展示し、被害者遺族から抗議を受け、しまいには観客にペンキを塗られるなどの事件に発展した。また、ニューヨークブルックリン美術館での展示については、作品の一つに象の糞を用いて聖母マリアを描いた作品に、当時のニューヨーク市ジュリアーニが激怒。美術館への援助を打ち切るなどほのめかし、訴訟問題までになった。

 

「センセーション」展 | 現代美術用語辞典ver.2.0

www.saatchigallery.com

 

とはいえ、サーチギャラリー側からしてみれば、この展覧会は成功だったのかもしれない。当時は、サッチャー政権下で美術への公的資金の削除や美術商への関心のなさから、イギリス・ロンドンのアーティストたちの活躍の場が下火になって行った時期。にも関わらず、開催したチャールズ・サーチおよびヤング・ブリティッシュ・アーティストは、公的資金に頼らず民衆の心を惹きつける展覧会を行ったのだから。


津田大介デュシャンになりたかったのか

センセーションのような物議を醸す、つまり炎上させるアートの始まりは、マルセル・デュシャンの「泉」であろう。

マルセル・デュシャンは作品数は多くないものの、この「泉」一点で20世紀最大の芸術家と言われるようになった。

 

この作品は、ニューヨークで行われた独立芸術協会が主催する「ニューヨーク・アンデパンダン」展に出展予定だった作品である。

 

デュシャンはこの展示の審査員であったが、「R.Mutt」という偽名を使って既成の陶器の男性用小便器を出品した。この展示会は出品料を支払えば、誰もが展示できることをルールとしていたが、協会側がデュシャン、すなわちR.Muttの作品だけは出展の許可を下さなかった。それにデュシャンが反論し、審査員を辞任。「アートとは何か」という今まで問われて来なかった既成概念に初めて問題提起をした作品となった。

(ちなみに、この作品は噴出。現在はレプリカが17点存在しているという)

 

あいちトリエンナーレの問題がネットニュースで流れ始めた時、真っ先にこの二つの事例を思い浮かべた。

作品は自分で作成してはいないものの、民衆がどのような反応をするかを計算して話題にする。そのような手法はよく似ている。

 

問題は自分でやってないってこと

あいちトリエンナーレが上記2点の事例と違うのは、

  • プロデューサーが企画して作家が出品しただけ
  • 公的資金が投入されている

である。そして、プロデューサーである津田大介はアートを政治的なメッセージと履き違えていたのかもしれない。「表現の不自由」というが、置かれるべき場所が違っただけで、タイミング、コンセプトを変えれば展示はされていたのでは、と思う。

それに、おそらく津田大介は作品を見てもらうよりも、この企画すごいでしょ、企画した自分すごいでしょ、と言いたかった気がしてならない。

 

なんだか有識者がワーワー言ってるけれどそれに影響されずに、自分にとってアートとは何か、どんなことがアートなのか、と判断して、自分の好きな作品を見ればいいにすぎない。今回のことは、観客にとっても自分の好きなアートを否定されたような、表現の不自由を感じたのではないだろうか。